10月24日(土) くるみるガイドツアーが催行されました。
国内現存最古の道路レンガアーチ橋の日光橋から、玉川上水遊歩道を歩いて、
今も清らかな水が流れている熊川分水と旧熊川村の奥深い歴史を感じるツアーです。
昨日の雨も止み、本日は秋晴れとなりました。
コロナウィルス感染予防で、先月同様に食事なしの10名の少人数での催行としました。
午前中の食事なしツアーで、5名の2グループで1グループにガイドとスタッフが同行しました。
今回のガイドは、熊川地区に精通している『熊川分水に親しむ会』の2名に案内していただきました。
【本日のコース】
拝島駅北口出発 → 日光橋 → 玉川上水緑地日光橋公園 → みずくらいど公園→
五丁橋 → 片倉跡地 → 福生院→ 伝・地頭井戸 → 熊川神社 → 熊川分水 → 石川酒造解散
また、今回のツアーは本来は熊川分水まででしたが、当日に石川酒造の新酒まつり訪問を提案したところ、
参加者全員にご賛同いただき、そのまま石川酒造まで足を延ばしていきました。
1グループの人数が少ないため、ガイドさんの説明もよく聞き取れて、和気あいあいとした
雰囲気での催行となりました。今回のツアーにご協力いただいた、熊川分水に親しむ会、スタッフの方々
本当にありがとうございました。
国内現存最古の道路レンガアーチ橋の日光橋から、玉川上水遊歩道を歩いて、
今も清らかな水が流れている熊川分水と旧熊川村の奥深い歴史を感じるツアーです。
昨日の雨も止み、本日は秋晴れとなりました。
コロナウィルス感染予防で、先月同様に食事なしの10名の少人数での催行としました。
午前中の食事なしツアーで、5名の2グループで1グループにガイドとスタッフが同行しました。
今回のガイドは、熊川地区に精通している『熊川分水に親しむ会』の2名に案内していただきました。
【本日のコース】
拝島駅北口出発 → 日光橋 → 玉川上水緑地日光橋公園 → みずくらいど公園→
五丁橋 → 片倉跡地 → 福生院→ 伝・地頭井戸 → 熊川神社 → 熊川分水 → 石川酒造解散
また、今回のツアーは本来は熊川分水まででしたが、当日に石川酒造の新酒まつり訪問を提案したところ、
参加者全員にご賛同いただき、そのまま石川酒造まで足を延ばしていきました。
1グループの人数が少ないため、ガイドさんの説明もよく聞き取れて、和気あいあいとした
雰囲気での催行となりました。今回のツアーにご協力いただいた、熊川分水に親しむ会、スタッフの方々
本当にありがとうございました。
明治24年(1891年)国内現存最古の道路レンガアーチ橋 日光橋 の説明
日光橋公園の玉川上水遊歩道を進んで行きます。
みずくらいど堀跡
玉川上水開削時に砂利層にぶつかって水が浸透して消えてしまった場所です。
玉川上水開削時に砂利層にぶつかって水が浸透して消えてしまった場所です。
みずくらいど公園内
1411年開山の福生院。
映画「ちはやふる」の舞台にもなった、熊川神社です。
本殿は東京都指定有形文化財に指定されています。
熊川分水
玉川上水から村の生活水として引き入れる計画をして、明治23年(1890年)に全長2750mの水路が完成。
福生市の景観重要資源第一号に指定されています。
玉川上水から村の生活水として引き入れる計画をして、明治23年(1890年)に全長2750mの水路が完成。
福生市の景観重要資源第一号に指定されています。
この井戸は古くから熊川地域で「地頭井戸」と呼ばれています。
名の由来は、江戸時代に熊川鍋ヶ谷戸地区を知行した徳川幕府の旗本長塩氏が、
水不足に悩む領民のために井戸を掘り与えたと伝えられています。
名の由来は、江戸時代に熊川鍋ヶ谷戸地区を知行した徳川幕府の旗本長塩氏が、
水不足に悩む領民のために井戸を掘り与えたと伝えられています。
石川酒造は、文久3年(1863年)に酒造業を始めます。
明治13年、この熊川の地に酒蔵を建ててから現在まで130年余り、
この地の水と空気から生まれた「多満自慢」を誇りに思うと同時に、「熊川分水(くまがわぶんすい)」の
整備に貢献しました。
明治13年、この熊川の地に酒蔵を建ててから現在まで130年余り、
この地の水と空気から生まれた「多満自慢」を誇りに思うと同時に、「熊川分水(くまがわぶんすい)」の
整備に貢献しました。
石川酒造の感謝祭の様子。JAZZライブの演奏風景。